エアキャットと人類は長い歴史をともにしてきました。
このページでは近世から現代までの歩みをご紹介します。

先史時代: 人類の進化を助けたエアキャット

デカルトとカリノカリーニ

フィレンツェの画家ジョットが地面にしっかりと足をつけた人物を描いてルネサンスの扉を開き、ドイツ ヴィッテンベルク城教会の扉にルターが95ヶ条の論題を貼り付けると、人々は宗教の時代から科学の時代への一歩を踏み出しました。 新しい価値観で溢れる時代の息吹の中で、それまで呪術的迷信とされていてエアキャットを科学的に理解しようと試みる人が登場したのです。

1625年、ボローニャ大学で音楽と幾何学の教鞭をとっていたカリノ・カリーニは、ローマを訪問していたルネ・デカルトと運命的な出会いをします。デカルトは、空間は人の感知できない何らかの物質で満たされているとし、これをエーテルと呼びました。惑星の動きもエーテルの渦によるものとするデカルトの説は、カリノ・カリーニに強烈なインスピレーションを与えたのです。
カリーニはエーテル=エアキャットと考えたわけではありませんでしたが、それまで天罰や、悪魔の仕業と思われていた多くの現象が不可視的生命体エアキャットによるものと確信し、1633年に詳細な論文を書き上げたのです。 しかし、カリーニはこの説を公にはしませんでした。 同年、同じボローニャ大学のガリレオ・ガリレイがローマ教皇庁の検邪聖省で2回目の裁判を受け、異端として無期刑を宣告されたのを目の当たりにしたこと、そして終生の友人となったデカルトは力学法則が支配する客観的世界観を提唱していたために、カリーニが言うような、生命体をよりどころとする古いルネサンス的な世界観を否定していたからです。
刑務所に行くのも友達をなくすのも嫌だった穏やかな性格のカリーニは、論文の最後に「それでも地球はエアキャットで満ちている」と記述し、封印したのです。 そのお陰で彼は97歳という長寿を生き延びました。

<日本>
カリーニがその論文を豪華なワードロープの奥に隠したまま永遠の眠りにつこうとするころ、極東の地、江戸では五代将軍徳川綱吉が生類憐れみの例を発布し、猫の売買と猫のつなぎ飼いが禁止されました。戌年戌月戌日うまれのユニークな殿様は、100匹のチンを飼っていたといわれます。101匹ワンちゃん大行進をチンで撮影したと想像してみてください。壮絶ですね。

この元禄時代の俳人、松尾芭蕉は超人的な脚力で全国を回りました。その脚力とスピードから、伊賀の忍者だったとも言われますが、芸術家の鋭い感覚でエアキャットをみつけ、それを乗りこなしていたのでしょう。 彼がエアキャットにささげた句がいくつかあります。
   猫の恋やむとき閨の朧月
     山は猫ねぶりて行くや雪の隙
       またうどな犬ふみつけて猫の恋
最後の句は 「またうどな(くそまじめな)番犬を、この猫は臆せず踏みつけて恋の相手に会いに行く」 という意味で、明らかにエアキャットですね。

また、近松門左衛門は、生類憐れみの例を批判し、犬好きの相模入道北条高時を、新田義貞と弟の脇屋次郎義助がエアキャットの助けを借りて北条氏を滅すというストーリーの太平記物、「相模入道千疋犬」を書いています。 この作品ですが、近年上演されることが稀なのは残念なことです。

近代−現代: 完全に消えたエアキャットの記憶

18世紀の英国では、エンクロージャにより農場を追われた農民が、産業革命の担い手としてロンドンに流入しました。 血なまぐさい革命の後遺症を引きずったパリは、まだ不潔で異臭を放ち、市場では後に恐ろしい殺人鬼となる天才調香師グルノイユが生まれたりしていました。
人々は多くの伝統やしきたりとともに、エアキャットのかすかな記憶も故郷の村に置き去りにせざるを得ませんでした。
市民革命、産業革命、帝国主義と資本主義の成長、そして20世紀の2度にわたる大戦を経て、エアキャットは完全に忘れ去られて行ったのです。過酷な状況では、エアキャットどころじゃありませんからね。

アリス

この時代における唯一のエアキャットの痕跡がチェシャ猫 (The Cheshire Cat)です。ルイスキャロル作、「不思議国のアリス」に登場する笑う猫で、アリスの目の前で姿を消し、ニヤニヤ笑いだけが残ったとあります。恐らく、アリスのモデルとなった、アリス・リデルが実際に遭遇したに違いありません。 しかし残念なことに、この貴重な目撃談は、3月ウサギとか、ハートの女王とか、荒唐無稽なホラ話と一緒にされてしまったのです。
ちなみに右にあるのは、ある学生街の雀荘の看板。 ジョンテニエルの美しい挿絵への敬意は微塵もありません。しかもALICEのスペル違ってるし。 そこの大学生! なんとか言ってやれ! 「あ、ポン! それアタリ。」 ばかあああああ!

現代: エアキャットの再発見

しかし、第二次対戦終結後、人々は精神的な豊かさを模索し始め、常識で理解できない生命体への関心がすこしずつ高まっていきました。その過程で、エアキャットの再発見に先立ち2種の新生物が発見されています。

<鼻行類の発見>
60年代初頭、鼻行類(別名ハナアルキ)に関する著述が発表されました。鼻行類は脊椎動物亜門・哺乳綱・鼻行目に属す189種からなる動物群で、鼻で歩くのが特徴です。この本によれば、1942年、スウェーデン人エイナール・ペテルスン=シェムトクヴィストが南太平洋ハイアイアイ群島で発見したとされます。しかし、その唯一の生息地であるハイアイアイ群島は、1957年核実験により完全に水没し、このユニークな種は絶滅してしまいました。

<平行植物の発見>
70年代後半、名作絵本「あおちゃんときいろちゃん」の作者でもあるレオ・レオニが、平行植物の解説書を発表しました。イタリアファシスト政権から逃れて米国に亡命するなど、苦難の人生のなかで素晴らしい作品を多く残した彼は、同時に非常に優れた自然観察者でもあり、人が知覚できず物理法則にも縛られない、極めて奇妙な植物群を発見したのです。エアキャット同様その研究は困難を極めましたが、多くの人の理解を得て、1982年には東京でも第5回国際平行植物会議が開かれています。
残念ながら、レオ・レオニは1999年、エアキャット捕獲のニュースを見ることなく、89歳の人生を終えました。

これらの先進的な研究や、斬新な認知手法が、21世紀のエアキャット再発見の下地を作ったことは明らかです。
ただ、エアキャットの再発見は思い込みの激しいおっちょこちょい2人の登場を待たねばなりませんでした。

<ついに発見>
2007年、エアキャットが発見されます。 ここにいたって、人類は先史時代に不幸な別れをした友と、再び素晴らしい絆を取り戻したのです。 エアキャットの発見までの経緯は、本ウェブサイトの「エアキャットの発見」をご覧ください。