エアキャットと人類は長い歴史をともにしてきました。
このページでは先史時代から中世までの歩みをご紹介します。尚、このページの記事は、エアキャットの歴史に関連した書きかけの項目です。随時、加筆・訂正してまいります。

先史時代: 人類の進化を助けたエアキャット

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私たちの祖先が、東アフリカのジャングルを離れ、安全な樹々の上から地上におりることを余儀なくされたころから、エアキャットは人類とともにありました。大型獣の鋭い牙から逃れるために、私たちの祖先にとってエアキャットは必要不可欠な友であったことでしょう。
携帯電話の電磁波や行き交う車両の騒音に五感を悩まされることの無かった私たちの祖先には、おそらくエアキャットの姿が見えていたか、あるいは今よりもずっとはっきりと、その気配を感じ取っていたに違いありません。
さまざまな危険が潜む草原を歩むとき、先頭に立つ一族のリーダーは常にエアキャットの気配に神経を集中していました。人間を獲物として狙う敵が、殺気を漂わせて低い姿勢で身構えているとき、エアキャットはそれをいち早く人類に知らせてくれたのです。
エアキャットにより危険を避け、エアキャットの導きで日々の糧となる獲物を狩り、エアキャットの見張りのもとで安らかに眠りました。神という概念を見出すはるか昔に、人々はエアキャットを未知で大いなる庇護者としてあがめ、しばしばそれを壁画や、モニュメントとして残したのは不思議なことではありません。

しかし、人類とエアキャットの蜜月時代は、犬の登場とともに終わりを告げました。
約1万5千年前、ヒトはタイリクオオカミなどを馴化し、人類最初の家畜としました。充分な体重と力、大きな吠え声をもつ、戦闘力に優れたこの動物の登場は、単に気配だけで人の営みに貢献するエアキャットを容易に過去のものにしてしまいました。
こうして人々にはエアキャットの姿が次第に見えなくなっていったのです。悲しいですね。

古代: 神話に登場するエアキャット

忘れ去られたかに思われたエアキャットでしたが、農耕や牧畜を開始するにともない、人類はその神秘性を再発見することになります。生と死、季節の繰り返しや天変地異、変らぬ星々の運行などに気が付いた人類は、その理由を捜し求め始めました。バステト神
マックスウェーバーは「宗教社会学」の中で、世界宗教の起源の一つとしてカリスマ信仰を挙げています。私たち人間に利益をもたらす超感性的な力を、永遠不滅の存在として人々が信じるようになったとき、それは「神」と呼ばれたと彼は考えました。目に見えないながらもその存在を感じることのできるエアキャットも、神様に近いものだと人々は考えたのかもしれません。
古代は世界各地の祭祀道具にエアキャットが登場した時代でもあります。近年の研究では、当初ライオンやネコだと思われていた文様やレリーフなどの多くが、エアキャットであることが判明しています。エジプト神話に登場するラーの娘バステト(Bastet)神や、そのラーの右目から生まれたとされるセクメト神など、大いなる尊敬を勝ち得たエアキャットも珍しくありません。有名なスフィンクスも、王の守護神にふさわしい巨大なエアキャットを実物大でかたどったものでしょう。

<日本では>
日本では古墳時代に制作されたとも言われる三角縁神獣鏡に、その姿を見ることができます。この神獣鏡を邪馬台国の鏡とする説もあり、卑弥呼が超自然的な能力によりエアキャットを自由に操り、圧倒的な政治力を獲得したとの見方もあります。ヤマトタケル

日本書紀や古事記に猫に関する記述がないことから、飼い猫は奈良時代頃、中国より渡来したと推測されますが、エアキャットはそれ以前から日本にいたようです。 日本書紀にも東国征伐に出かけた日本武尊が神坂峠でエアキャットに出会った記述があります。

「山の神、王を苦しめんとし、白き鹿となりて王の前に立つ。王あやしみたまひて、一箇の蒜を以て白き鹿に弾きかけつ。則ち眼にあたりて殺しつ。ここに王、忽ちに道を失ひて、出づる所を知らず。時に白き狗(エアキャット)、自づからに来て、王を導きまつるかたち有り。狗に随ひて行でまして、美濃に出づることを得つ。」
(要訳: 白鹿に化けた魔物にニンニクをぶつけてやっつけたのはよいけれど、その呪い?で道に迷ったヤマトタケル君、エアキャットの道案内で美濃の国にでることができましたとさ)

唐猫と呼ばれた飼い猫が日本に入ってくると、エアキャットのイメージが猫に結びついたようで、エアキャットが様々な文献に登場し始めます。鳥獣戯画の甲・丙巻には、帽子をかぶったエアキャットの姿を見つけることができます。また、徒然草の第89段にも、「奥山に猫またといふものありて、人を食らふなる。と人の言ひけるに山ならねども、これらにも、猫の経上がりて、猫またになりて、人とることはあ なるものを。と言ふ者ありけるを、、、」とエアキャットの話が紹介されています。

<ケルベロス>
ギリシア神話に登場する地獄の番犬ケルベロスもまた、エアキャットの一種と考えてよいでしょう。ベストセラーとなった魔法学校の物語にも登場する3つ首の魔物は、冥界に来る人には友好的ですが、そこを立ち去る人は許しません。 そんな訳で生きている間に目にすることは無い存在です。

ちなみに「ケルベロス認証」は、インターネット通信で使用される暗号認証方式です。サーバとクライアントの間で双方の身元を確認するもので、強固なセキュリティを実現します。この方法はPAPやCHAP等のプロトコルを使って、ユーザーとサーバーが1to1で認証するPPP(Point to Point Protocol)とは異なります。しかし、この件についてはエアキャットとは無関係ですし、古代人にはケルベロス認証は不要ですから説明は割愛します。

 

中世: 悪魔の手先? 神の使い?

宗教が深く政治・社会に影響を及ぼした中世において、エアキャットは地域によって極めて異なった取扱いを受けました。ここでは二つの地域での例を見て見ましょう。

<ヨーロッパ>
後ウマイヤ朝の支配下にあったイベリア半島を別として、欧州の殆どの地域においては、エアキャットは悪魔の手先とされていました。エアキャットは民衆の静かな祈りの時間を妨げ、聖職者の宗教的法悦を乱すものとされたのです。
しかし、教会や修道院からエアキャットが立ち去ることはありませんでした。9−10世紀、グレゴリオ聖歌を唱和する人々は、そのモノフォニーの中にかすかなハーモニーを聴き取り、これを神が与えたもうた第3の声と考えました。 実際は人好きなエアキャットが人々の歌声に含まれる倍音を操作して、ともに音楽を楽しんでいたのでしょう。

飼い犬がイスラム圏では疎まれ、キリスト教圏においては邪悪から人を守るとされて大事にされたことを考慮すると、犬とエアキャットは全く反対の待遇を受けたと言えます。特に欧州北方においては、飼い犬は8世紀になるまで極めて稀でしたから、人々はこの新しい友人に甘かったのかもしれません。
エアキャットは魔女や悪魔の手先として虐待された猫に近い存在だったと言えます。しかし、ペストが大流行した時に、病原菌を媒介するネズミ退治で功績を挙げた猫が復権を果すのに対し、エアキャットはその後も禁忌な存在として扱われたのです。

<日本>
仏教が伝来し、土俗的な信仰や古来の神話と親和的に融合した日本においては、エアキャットは親しみやすい神様の使いとされました。仏教伝来とともに、外来種のエアキャットが遠くインドから朝鮮半島を経由して渡来し、民衆が神仏の存在を直感的に理解するのを手伝ったことでしょう。
エアキャット再発見以前は、神社を守る狛犬の起源をインドライオンに見出した研究者も、いまではそれがエアキャットであることを疑いません。

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海を渡り琉球に到達したエアキャットはシーサーとなりました。 後のことですが、この温暖な地でエアキャットはその繁栄を謳歌し、明治期に庶民にも瓦葺きの屋根が許されるようになると、エアキャットは家々の屋根の上に立ち、祖先のニライカナイ(琉球地方に伝わる理想郷の伝説の地)を望むようになりました。